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屋久島で益救神太鼓年越祭 山岳信仰の歴史感じる物語

善の神がたいまつを振り回し、厄払いする

善の神がたいまつを振り回し、厄払いする

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 屋久島町宮之浦の益救(やく)神社境内で昨年12月31日、「益救神太鼓(やくじんたいこ)年越祭」が行われた。

薄紫色の衣装が善の神、赤い衣装が悪の神

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 この日は山の神様の御神体を里へ運ぶ「神幸(みゆき)祭」、宮之浦公民館から益救神社まで善悪の神が太鼓を打ち合い練り歩く「神事祭」、益救神社境内で太鼓の打ち合いとたいまつで厄払いをする「年越祭」を行う。

 屋久島では昔からそれぞれの山に神がいると信じられ、今のように人々が簡単に山に入ることができなかった。山の神は1年に1度、里に下りて人々の厄をはらう。宮之浦は宮之浦岳の神様が神之川を通り里へ下りてくるという。

 年越祭は厄払いのために下りてくる善の神と、それを邪魔する悪の神が激しく太鼓を打ち合う。最後に善の神が打ち勝ち、たいまつで人々の厄払いをする。その迫力から見応えがあると島民に評判。この時期の観光ツアーで訪れる観光客もいる。開始時刻の数十分前から多くの人が場所取りで舞台の前に並んだ。

 屋久島太鼓保存会副会長兼事務局長の鮫島健夫さんは「練り歩きの『神事祭』が始まってまだ4~5年。年越祭も最初は観客がほんの数人しかいなかった。徐々に増え規模が大きくなり、ようやく大規模な演出ができるようになった」と話す。

 年越祭の後、益救神社でおはらいしたお神酒、お守り、歳餅が振る舞われる。昔は誕生日に歳をもらうのではなく、大みそかに歳餅をもらうことで歳をもらえると考えられた。歳餅は伝統行事「トシノカンサマ」でも子どもたちにも配る。鮫島さんは「年越祭の物語は『トシノカンサマ』を現したもの」と説明する。

 年越祭が始まり約35年。宮之浦の大みそかの伝統行事は、屋久島の山岳信仰の歴史が色濃く現れている。

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