トークライブ「小杉谷物語」が11月3日、屋久島町歴史民俗資料館(屋久島町宮之浦、通称「歴民館」)に併設されている網代(あじろ)小屋で開催された。
会場前の中庭には、トークライブを企画した黒飛淳さんが、この日のために50年以上前の写真を参考に製作した小杉谷のジオラマが展示されていた。縄文杉登山の途中、トロッコ道が安房川に架かる長い高架橋を渡ったところに、小杉谷集落の中心となった小杉谷小学校と中学校があったが、小杉谷を拠点とする森林伐採作業の終了を受けて、1970(昭和45)年に閉校となった。
トークライブでは、閉校の数年前に中学を卒業した佐々彰總(しょうそう)さん、日高光明さん、若松明男さんの3人が当時の様子を語り合った。会場の網代小屋には校旗やパネル写真が展示され、片隅には実際に小杉谷小・中学校で使われていたオルガンが置かれた。母親が小杉谷の教師をしていた木原裕子さんがこのオルガンで校歌を演奏してトークライブが始まった。
「林業従事者とその家族が中心だったため、老人がおらず、若い親たちが協力して子どもの世話をした。男子中学生は全員野球部に所属し、運動場が狭かったので、川のある右方向への打球はアウトとする『小杉谷ルール』を使った。島で最初に水力発電所が建設された千尋(せんぴろ)の滝に近いので電気がいち早く引かれ、まだランプ生活をしていた麓の人たちには、家庭の電気製品が驚きだった。トロッコが日常的な移動手段で、通学や買い物、急病人の搬送などに使った。雪が降ると、トロッコ機動車の前面に鉄板を取り付けたラッセル車が出動したが、パワー不足のため豪雪には対処できなかった」などと、小・中学生の目を通した小杉谷での生活の思い出を話した。
客席にいた1958(昭和33)年卒業の梶原忠男さんは指名され、電気が来る前、さらには馬でトロッコを引いていた時代の様子を紹介した。
最後に黒飛さんが「小杉谷の歴史はそのまま日本の林業史。森林に包まれた屋久島を語る上で、小杉谷は避けて通れない」と締めくくり、参加者全員で校歌を歌って終了した。