屋久島南西端の栗生浜で中国・道教の西王母(せいおうぼ)像とみられる木像が発見され、歴史民俗資料館(屋久島町宮之浦)が現在、一般公開に向けて木像の保存処理を進めている。
木像を発見したのは漁師の岡留修己(おさみ)さん。2年前の冬の朝、いつものように栗生浜を歩いていると、フジツボなどが付着した高さ30センチの木像が水際に横たわっていたという。連絡を受けた資料館では、威厳のある見慣れない容姿の像だったため、島民の協力も得て調査を始めた。
2月20日に九州国立博物館(福岡県太宰府市)の望月規史(のりふみ)さんが来島し、像を観察した。その結果「顔が黒く、椅子に腰掛けており、中国・道教の神だと思われる。どの神かを特定するには手に持っている玉と花が鍵になる。中国の交易船が航海の安全を祈った媽祖(まそ)神のような娘々(ニャンニャン)神の一種かもしれない。漆を盛り上げて線を描く『漆線』という手法は清朝後期以降のもので、さほど古いものではない」とのことだった。
3月20日、安房城跡発掘調査に関する「屋久島経済新聞」の記事を読んだ天理大学(奈良県天理市)の藤田明良さんが、発掘品の調査のため来島した。資料館で遺物をチェックしている時、たまたま横に置いてあった木像に気が付いた。アジア交流史が専門の藤田さんは媽祖像の研究もしており、この像は媽祖ではなく、左手に桃を持った西王母だと特定した。
西王母は、道教の最高位の神である玉皇(ぎょっこう)大帝の妻で、女神の中では最高位。民間信仰では親しみと敬意を込めて王母娘娘(ワンムーニャンニャン)と呼んでいる。3千年に一度だけ実を結ぶ不老長寿の桃を持っていたが、孫悟空が全部食べてしまったという逸話が西遊記にある。3月3日の桃の節句は、西王母の誕生日にちなんでいるという。
藤田さんは「民芸的な味わいがある像で、近年のものとは異なっており、第二次大戦より前に作られたものだろう。温かみのある像だが、西王母の持つ恐ろしい一面も表現されている。台湾あるいは福建省あたりから漂流してきた可能性が高い」と話した。
資料館では、屋久島産の天然樟脳(しょうのう)を使って木像を薫蒸した後、にかわで剥落防止の処理をし、準備でき次第、一般に公開する予定。5月1日の公開を目指している。